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核心に触れるまで努力する

 般若心経の冒頭のセンテンスに「行深般若波羅蜜多」という言葉があります。校祖平岡宕峯先生は、これが般若心経の非常に大切な教えであると考えていらっしゃいました。もちろん、お経の解釈は無限でありまして、様々な言葉にはそれぞれに人生を変えてしまうような力がありますが、なかでも、この冒頭の「行深般若波羅蜜多」という言葉に非常に感銘を受けたとおっしゃっていました。
 「深般若波羅蜜多」を行ずるというのは、核心に触れるまで努力するということでありまして、「到彼岸」を意味します。「波羅蜜」というのは「お彼岸」つまり向こう岸のことです。「お彼岸」というと、死んだ人の世界と考える人がいますが、そうではなくて悟りの世界なんですね。あちらが「彼岸」こちらが「此岸(しがん)」ということで、「到彼岸」というのは向こう岸に渡り切るということを意味します。たとえば、川の流れの中で9割渡ったところで休憩していたら、川の流れに流されてしまって向こう岸にはたどり着けませんね。したがって、「到彼岸」すなわち「波羅蜜」というのは、渡り切るということなのです。
 もうこの辺でいいかなと力を緩めてしまっているようでは駄目なのです。もうこの辺でいいかなと感じるもう少し上のところに本当に目指すべきところがあるのです。以前、水泳の北島康介選手が平泳ぎで、世界新記録でオリンピック二連覇を達成しましたが、それまでの練習では最後の5メートルでタイムが落ちてしまうことに悩んでいたそうです。それを心理学の先生にどうしたらいいかと相談したところ、人間というのはそういうものだと、目標が見えたら力を抜いてしまうものだという返事だったそうです。そこで、最後の5メートルがゴールではなくて、タッチしてタイムを確認するところまでをゴールにすることを徹底的に意識して練習したそうです。そうすることで最後の5メートルまで力を落とさずにゴール出来るようになったということでした。実際の映像を見ても、タッチしてタイムを確認するまで顔の緊張が取れないことが分かります。そして、そのあともこの方法でもってますますタイムを伸ばすことができたということでした。
 核心に触れるまで努力するというのはそういうことです。高い目標に向かってできる限りの努力を積み、核心に触れることによって自分の目標を達成しようということです。これは清風の校訓でありますから、諸君の勉強においてもクラブにおいても大きいのではないかと思います。適当にやって成果を上げるというのが清風の美徳ではありません。清風が目指すべきところは、核心に触れるまで努力するということであります。与えられた環境の中で、あれこれ言わずに一心不乱に核心に触れるまで努力することの意味をみなさんの心に留めておいてほしいなと思います。

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