朝礼での校長訓話Message
芸術の役割
去年の東京大学の英語の入試問題で、「芸術は社会の役に立つべきだという主張についてあなたはどう考えますか? 理由を添えて、60~80字の英文で述べなさい。」という出題がありました。
私は見識が不十分だったせいもあって、コロナ禍において、ドイツなどでは芸術家に対して補助金を出したが、日本はそういうことをしなかったといった程度のことしか思い浮かびませんでしたが、ふと、あることを思い出しました。それは千住博という日本画家がいらっしゃるのですが、この人はヨーロッパ在住で、世界を代表する画家の一人です。この方が、2020年の10月に高野山金剛峯寺に襖絵を納められました。そのときの様子がドキュメンタリーで放送されていて、京都の襖絵職人がその絵を襖にして高野山金剛峯寺に入れました。高野山修養行事に行けば、みなさんも見ることができると思います。なぜかというと、千住博さんは、この部屋を特別な部屋にしないでほしいと、普段使いとして使ってほしいと、そうやって時代を経ていくことが、いいことなのだとおっしゃっていました。襖絵職人の方は、癌を患っていて、体調が思わしくない中で、これは自分の一生の仕事であるということで、懸命にやり遂げたあとのインタビューでも、金剛峯寺に納めることができたことを非常に喜んでおられ、「千年あとの人が私の仕事をどう見てくれはるか、これが楽しみや」ということをおっしゃっていました。
ところで、今年の 2 月に長谷部真道管長猊下の晋山祝賀会がありまして、その祝賀会の一環として千住さんと管長猊下がお話しされることになりました。そのお話のなかで、千住さんが「コロナのパンデミックの中で、半年以上ニューヨークから日本に来ることさえ出来ないような、世の中がザワザワしているときにはいい仕事が出来ないという考え方もあるだろう。しかし、こういうときだからこそ、我々芸術家は自分たちのメッセージを発信しなければならない」ということをおっしゃいました。その言葉が私の心に強く響いて、厚かましいと思いましたが、順番を待って、「あれはどういう意図ですか」と千住さんに直接伺いました。千住さんがおっしゃるには、「芸術というのは、世界が危機的状態になったときに生まれているのだ。たとえば 14 世紀に黒死病と当時呼ばれていたペストが大流行し、ヨーロッパでおそらく1億人ぐらいが死んだと言われているけれども、そのあとにルネッサンスが興っている。あるいは、戦国時代で、人々が殺し合いをしているときに、狩野永徳の四季花鳥図という、画家である私が見ているだけで心が落ち着くような非常に穏やかな絵が生まれるということが起こっている。」というお話でした。
この話を聞いて、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーの「挑戦」と「応戦」という言葉を思い出しました。「挑戦」というのはパンデミックや大規模災害などの自然現象が人間を試すということですね。人間が挑戦するのではなくて、自然現象などの外部からの働きかけによって人間が苦労させられることです。これには自然だけではなくて、戦争などの人為的な事柄によって人心が乱れることも含まれます。一方の「応戦」というのは、それらの現象に対して人間がどういうことをするか、ということでありまして、その一例として黒死病とルネッサンスの話が出てきます。
おそらく、そういうことが千住さんの頭にあったのかも分かりませんが、要するに、その時代の中で、人間が危機的状況に陥ったときに、その時代に欠けているもの、その時代に人々が渇望しているものを提供することが芸術の役割である、そのときに本当の芸術の価値が忽然として現れると思う、という趣旨のことを千住さんがおっしゃったことが非常に印象に残りました。
さきほど紹介した東京大学の入試問題もそのようなことが解答として求められていたのではないかと思います。
実は、私が見ていたドキュメンタリーを千住さんもご覧になっていて、そこがひっかかったと言ったら、とても喜んでくれて、それはこういう意味だよと非常に熱心に説明していただきました。まさに時代の心が乱れているとき、人々が本当の心の奥底で渇望しているものを、人の生きる価値というか、人間の値打ちというか、そういうことを示すのが芸術の役割だと、私はそういうふうに思っていますと。ですから、パンデミックの中でも、自分はこの金剛峯寺の襖絵、自分はあれ以上のものは描けることはないと思います。自分の生涯最高の作品だったと思っていますが、それはこういう時期だからこそ自分はやれたのだなあと思っているのです、というふうにおっしゃいました。
非常に印象に残るお話でしたので、諸君がいろいろなことを考える一つのヒントにしていただけたらなと思います。