朝礼での校長訓話Message
手の届く範囲で「利他」を実践する
昨年の暮れの12月30日にタクシーに乗った折、運転手さんと世間話をしました。運転手さんは夜勤で、そのまま大晦日の午後まで勤務し、勤務が終わり次第、京都の神社へ奉仕に行くとおっしゃっていました。
徹夜続きになるので、私は「それは大変ですね」と言いました。すると運転手さんは、こんな話をしてくれました。
『26年前に京都の神社へ初詣に行ったのですが、そのとき、ひとりのサラリーマンの方が人の波を誘導するなど一生懸命に奉仕をされていたので、思わず声をかけました。
するとそのサラリーマンの方は、「一生懸命に仕事をするが、それは自分の実績や出世のため。神社に来ても結局は自分のことばかりお願いしている。だから今日は、本当に他人のために奉仕しているのです。そうすると、ものすごく清々しい気持ちになれます、あなたもやってみてはどうですか」と言われたのです。
そこで自分もやってみたところ、なんとも言えない高揚感があって、1年のスタートとしてこれほど充実したものはないと感じ、それから26年間続けているのです』。
近年、京セラの創業者稲盛和夫さんが中国で大変人気を博しているので、親しくしている京セラの役員の方にその理由を尋ねたことがあります。
「中国では宗教活動はいちじるしく制限されていますが、中国人経営者の多くは人の役に立ちたいという欲求が非常に強いのです。宗教における利他の精神を説くことは禁じられていますが、稲盛は企業人として同じことを一生懸命に訴えかけるため、中国の経営者にあれほど人気があるのですよ」と教えてくれました。
先のタクシー運転手の方も、もちろん宗教を勉強しているわけではないでしょう。しかし、人の役に立ちたいという欲求を満たすことは、自分の生命力を活性化させてくれて、その有無によって1年の過ごし方に大きな差が出てくるのだそうです。
利他の気持ちは人それぞれにあり、その気持ちが満たされたとき、生命の神秘の力が出るのではないかと思いました。
清風は「自利利他」と言いますが、「利他」は人のお役に立つこと、「自利」は自身を高めることです。
さまざまな課題を解決して人のお役に立つには、自分の能力を高めておく必要があるでしょう。ですから、自利は大切です。しかし、その「自利」は「利他」が前提であるべきだと思います。
利他の気持ちはみんな持っているはずです。それは狭い範囲でもかまいません。困っている友人に対して、家族に対して、通学途中に出会う人に対してでもよいのです。
小さな利他であっても、自分の生命力を高めてくれる大切な行動だと思います。ぜひ、利他の気持ちを示してほしいと思います。